皆様、ご無沙汰しております。
ホッパーズに約2年ぶりに復帰したバッテラです。
この不在期間の間に色々あったので練習の話は最後に取っておいて、
不在期間の身の上話を長々と書いてしまおうかと思います。
時は遡る事1年8カ月前、2020年2月中国がコロナで大変な時です
不要不急の外出を控えなければならないため、ずっと家か会社という日々が続いていました。
経済が動いていない事もあり仕事もあまりなく
家で仕事が当たり前だったのが嘘のように平日夜も家でゆっくりしていました。
でも、飽きましたそして、筋トレを頑張り始めました
スクワットと懸垂をやり、毎日少しずつ回数を増やしていく自分ルールでやっていたのですが、
限界が来ていたのに無理に回数を増やしてしまったようで、左腕が筋断裂してしまいました
翌朝左腕がパンパンに膨らみ、指先から背中まで麻痺している箇所と、
とんでもなく痛い箇所があり病院に行きました
そこからは病院で処方してもらった痛み止めを飲みながら麻痺している左腕を使わない生活が
1ヶ月ほど続きました
更に1ヶ月ぐらいは少しずつ左手を使いながら過ごし、怪我から2か月程で痛みと麻痺が回復しました。
ただ、おかしな事に何故か左手の親指だけ曲がらない
どんなに力を入れようとしても曲がらない
私の曲げたいという意思をガン無視してきます。
そんな左手の親指はずっとイイネ!の形になってます。全く良くないんですが
ここからは親指が何故曲がらないのか曲げるためにはどうすればいいのか?
という事をハッキリさせるために深セン市内の病院つ、
日本へ帰国して更につの病院を探して(たらい回しになっただけ?)、
ようやく原因が判明したのが、2020年12月。日本の病院でした
その診断結果はなんと
“長母指屈筋健断裂、麻痺(特発性前骨間神経麻痺)”との事だったのです
何のことでしょうか全く頭に入って来ません呪文なのか何なのか。
簡単に言うと、
筋断裂した時に炎症で筋肉が腫れて、筋肉が神経を圧迫して麻痺しました。
その後、炎症が引いて腫れは引いたが一部麻痺が残りました。
その麻痺した箇所は左手の親指を曲げる屈筋健というところでした。という話だったようです。
じゃあ、どうやって治すのか?というと、
確実なのは手術して麻痺していない筋肉に親指の健を繋いじゃいましょう。という方法だとか。
大丈夫なのか?と不安ながらも他の方法が無いと言われてしまったので、翌月手術しました
(手術の詳細も書いてしまうと生々しいので省略)
手術後2週間ほど入院。リハビリは手術翌日からでした。
時間が経つと曲がらなくなるので、痛くてもすぐ曲げるように動かさなければならないとの事で、
地獄のリハビリ開始
実は私、とても怪我しやすい体質なのか靭帯や腱の断裂は3回目だったので
リハビリの流れは何となくわかっているつもりでした
が、今回はとても不思議なリハビリでした。
今まで親指を曲げてくれていた屈筋健は永眠し、薬指を曲げる屈筋健に繋ぎ直す手術をしたので、
親指を曲げようと思っても曲がらないが、薬指を曲げようとすると、
薬指とセットで親指が曲がっちゃう不思議な身体になってしまっていたのです
そして、リハビリはその動きを分離するためのスイッチングという内容のリハビリでした。
あとは単純に親指の可動域を増やすための運動もしてました
そんな不思議なリハビリのために車で往復4時間の距離にある病院へ通う事3か月
担当の医師から、「日常生活でも問題無いでしょう。スポーツも以前のようにやってもいいですが、
様子を見ながらにして下さい。」との診断を受け、ようやく地獄から解放
それから色々手続きをして、中国に戻ってきたのが4月末5月中旬に隔離解除されたのですが、
あと1時間隔離解除が遅かったら深セン市内の隔離は1週間延長の3週間だったそうです
隔離がしんどくなってきていたので、延長されなくて良かった
そして、9月に生活と体調が安定してきたので、会社の後輩の門(モン)を連れて
ホッパーズの練習に参加させていただいたのでした
実はその間もホッパーズの飲み会だけ参加してはいたんですがね・・・。
これからまた宜しくお願いします
ここから10/24の練習について書きますお待たせしました
最近はTCLの体育館で9時から練習が定番。
後輩のモンを連れて体育館に行くと、まだ鍵が開いていないようでHIDEさんが待機中でした。
やはりモチベが高い
今回の練習参加人数は最近の中では少ないようで7人の参加のためハーフコート
本当は龍くんが来る予定でしたが、練習時間を勘違いしての欠席(残念)
まずは、アップでランニングとフットワークから練習開始。
“まずは” と書きましたが私はフットワーク後には下半身がガタガタになっていました
その後、レイアップ、対面シュート、シューティング、フリースローと続いていましたが、
私の下半身はガタガタガタと音を立てて震えていました
ハーフコートの練習でこんなにキツイと感じたことが過去あったでしょうかいや、無い
ただ単に体が老いただけだとは思いたくないので、怪我しないように様子を見ながら練習を続けました。
※担当医の言いつけは守ります
ハーフコートだったのでシュート練習がメインでしたが、入らない入らない私だけ本当に入らない
既定の本数決めるまで打ち続けるので、間違いなく私がシュート数は一番多かったでしょう。
しかし、なんとか踏ん張っていましたが、このまま続けたらシューティングで怪我してしまうと
怖気づいたのが10時20分頃。担当医の言いつけを守るため、練習から離脱。
しばらく休んでから、ブログを担当する事を思い出し、写真をパシャパシャ。
ムーブからのシュートを何種類かやり、次は1対1をやっていました。
練習の間、みなさん笑顔でやられていて羨ましかったです体力とかシュート力とか
練習終了間近に3対3をやる事になり、30分ほど専属カメラマンと化していた私に声が掛かりました。
もう十分休んだだろ的な感じが空気的に伝わってきたので、断れない、これは断れない!と
圧力に屈し恐る恐る参加
残り10分ぐらいだったので、頑張ろうと決意しましたが、一度折れた心は脆く10分持たずに離脱。
写真を撮る気力も失いコートサイドでうずくまっている間に練習終了
大変な1日でした
今思うと、リハビリの方が楽だったような気がしています
そんなこんなで、今後とも宜しくです。おしまい
ホッパーズに約2年ぶりに復帰したバッテラです。
この不在期間の間に色々あったので練習の話は最後に取っておいて、
不在期間の身の上話を長々と書いてしまおうかと思います。
時は遡る事1年8カ月前、2020年2月中国がコロナで大変な時です
不要不急の外出を控えなければならないため、ずっと家か会社という日々が続いていました。
経済が動いていない事もあり仕事もあまりなく
家で仕事が当たり前だったのが嘘のように平日夜も家でゆっくりしていました。
でも、飽きましたそして、筋トレを頑張り始めました
スクワットと懸垂をやり、毎日少しずつ回数を増やしていく自分ルールでやっていたのですが、
限界が来ていたのに無理に回数を増やしてしまったようで、左腕が筋断裂してしまいました
翌朝左腕がパンパンに膨らみ、指先から背中まで麻痺している箇所と、
とんでもなく痛い箇所があり病院に行きました
そこからは病院で処方してもらった痛み止めを飲みながら麻痺している左腕を使わない生活が
1ヶ月ほど続きました
更に1ヶ月ぐらいは少しずつ左手を使いながら過ごし、怪我から2か月程で痛みと麻痺が回復しました。
ただ、おかしな事に何故か左手の親指だけ曲がらない
どんなに力を入れようとしても曲がらない
私の曲げたいという意思をガン無視してきます。
そんな左手の親指はずっとイイネ!の形になってます。全く良くないんですが
ここからは親指が何故曲がらないのか曲げるためにはどうすればいいのか?
という事をハッキリさせるために深セン市内の病院つ、
日本へ帰国して更につの病院を探して(たらい回しになっただけ?)、
ようやく原因が判明したのが、2020年12月。日本の病院でした
その診断結果はなんと
“長母指屈筋健断裂、麻痺(特発性前骨間神経麻痺)”との事だったのです
何のことでしょうか全く頭に入って来ません呪文なのか何なのか。
簡単に言うと、
筋断裂した時に炎症で筋肉が腫れて、筋肉が神経を圧迫して麻痺しました。
その後、炎症が引いて腫れは引いたが一部麻痺が残りました。
その麻痺した箇所は左手の親指を曲げる屈筋健というところでした。という話だったようです。
じゃあ、どうやって治すのか?というと、
確実なのは手術して麻痺していない筋肉に親指の健を繋いじゃいましょう。という方法だとか。
大丈夫なのか?と不安ながらも他の方法が無いと言われてしまったので、翌月手術しました
(手術の詳細も書いてしまうと生々しいので省略)
手術後2週間ほど入院。リハビリは手術翌日からでした。
時間が経つと曲がらなくなるので、痛くてもすぐ曲げるように動かさなければならないとの事で、
地獄のリハビリ開始
実は私、とても怪我しやすい体質なのか靭帯や腱の断裂は3回目だったので
リハビリの流れは何となくわかっているつもりでした
が、今回はとても不思議なリハビリでした。
今まで親指を曲げてくれていた屈筋健は永眠し、薬指を曲げる屈筋健に繋ぎ直す手術をしたので、
親指を曲げようと思っても曲がらないが、薬指を曲げようとすると、
薬指とセットで親指が曲がっちゃう不思議な身体になってしまっていたのです
そして、リハビリはその動きを分離するためのスイッチングという内容のリハビリでした。
あとは単純に親指の可動域を増やすための運動もしてました
そんな不思議なリハビリのために車で往復4時間の距離にある病院へ通う事3か月
担当の医師から、「日常生活でも問題無いでしょう。スポーツも以前のようにやってもいいですが、
様子を見ながらにして下さい。」との診断を受け、ようやく地獄から解放
それから色々手続きをして、中国に戻ってきたのが4月末5月中旬に隔離解除されたのですが、
あと1時間隔離解除が遅かったら深セン市内の隔離は1週間延長の3週間だったそうです
隔離がしんどくなってきていたので、延長されなくて良かった
そして、9月に生活と体調が安定してきたので、会社の後輩の門(モン)を連れて
ホッパーズの練習に参加させていただいたのでした
実はその間もホッパーズの飲み会だけ参加してはいたんですがね・・・。
これからまた宜しくお願いします
ここから10/24の練習について書きますお待たせしました
最近はTCLの体育館で9時から練習が定番。
後輩のモンを連れて体育館に行くと、まだ鍵が開いていないようでHIDEさんが待機中でした。
やはりモチベが高い
今回の練習参加人数は最近の中では少ないようで7人の参加のためハーフコート
本当は龍くんが来る予定でしたが、練習時間を勘違いしての欠席(残念)
まずは、アップでランニングとフットワークから練習開始。
“まずは” と書きましたが私はフットワーク後には下半身がガタガタになっていました
その後、レイアップ、対面シュート、シューティング、フリースローと続いていましたが、
私の下半身はガタガタガタと音を立てて震えていました
ハーフコートの練習でこんなにキツイと感じたことが過去あったでしょうかいや、無い
ただ単に体が老いただけだとは思いたくないので、怪我しないように様子を見ながら練習を続けました。
※担当医の言いつけは守ります
ハーフコートだったのでシュート練習がメインでしたが、入らない入らない私だけ本当に入らない
既定の本数決めるまで打ち続けるので、間違いなく私がシュート数は一番多かったでしょう。
しかし、なんとか踏ん張っていましたが、このまま続けたらシューティングで怪我してしまうと
怖気づいたのが10時20分頃。担当医の言いつけを守るため、練習から離脱。
しばらく休んでから、ブログを担当する事を思い出し、写真をパシャパシャ。
ムーブからのシュートを何種類かやり、次は1対1をやっていました。
練習の間、みなさん笑顔でやられていて羨ましかったです体力とかシュート力とか
練習終了間近に3対3をやる事になり、30分ほど専属カメラマンと化していた私に声が掛かりました。
もう十分休んだだろ的な感じが空気的に伝わってきたので、断れない、これは断れない!と
圧力に屈し恐る恐る参加
残り10分ぐらいだったので、頑張ろうと決意しましたが、一度折れた心は脆く10分持たずに離脱。
写真を撮る気力も失いコートサイドでうずくまっている間に練習終了
大変な1日でした
今思うと、リハビリの方が楽だったような気がしています
そんなこんなで、今後とも宜しくです。おしまい
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